哲学カフェ終わりました。
今回は本堂で開催したのですが、始める前に参加者の数人が、仏様の前では「言いたいこと、恥ずかしいことが言えない」「遠慮してしまう」と言っておられました。
始める前に
●自由に自分の考えを言ってもいい場所。
●発言者の言うことを聞く。わからなければ積極的に質問を
●否定する・同意できない場合は優しく言葉を選んで。
●偉い人の言葉や定義などを持ち込まずに自分で考えて発言する(なぜそう思ったかを説明することが出来ないから)
●合意・結論を導き出す場ではない
●自分の意見が変わることを楽しむ
などを説明します。自由な発言を妨げないよう様々な配慮がなされています。
仏教には戒律や六波羅蜜など、ものの善悪がはっきり示されています。そのひとつひとつは実際どうなのか?なぜお酒を飲んではいけないのか、施しはなぜいいのか。そこら辺りも自灯明よろしく、皆さんと自分の言葉で語り会えたらと思っています。ちなみに広島哲学カフェの次回テーマは「信頼出来る人ってどんな人?」です。こっちの方が面白そう^ ^
いろんな説明があると思いますが以下は広島哲学カフェの定義です。
*哲学カフェって?*――普段から気になっていた問いを、はじめて会った人同士で、自分たちの考えだけで話し合ってみませんか? 難しい知識や哲学に詳しい必要はありません。一つの答えを出したり、合意形成を目指したりするのではなく、対話を楽しむこと、多様な意見を楽しむこと、自分の考えが変わったり深まったりすることを楽しむことが目的です。哲学カフェは、1992年にフランス・パリのカフェで偶然生まれ、その後世界中に広がっていった営みです。
この場では、異なる考えや反対意見、「わからない」と言うことや疑問を呈することを大歓迎とします。「誰が言ったか」という肩書ありきの会議でもなく、相手を論破するディベートでもなく、空気を読む会話でもない。哲学カフェは、ゆっくりとひとつの「問い」について考えることを楽しむ、沈黙の時間も楽しむ、そんな場を目指しています。
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自由に自分でものを考え、語れる場が学校・会社だけでなく、老後まで無い可能性があるという説があります。
今回ナビゲートしていただいた広島哲学カフェ主催の草間さんも自由に語れることをとても重視されています。
以下は大変お世話になった未来の住職塾の塾長松本紹圭氏のコメントです。
梶谷真司氏(東京大学大学院総合文化研究科教授)の『考えるとはどういうことか0歳から100歳までの哲学入門(幻冬舎新書)』が人気。
https://amzn.to/2VAxzJHでは
いわゆる「不良」の巣窟のような高校で、哲学カフェをやったところ、他の授業では遊んでばかりで見向きもしなかった生徒たちが、真剣に「愛とは何か」「正義とは何か」といった問いを巡って車座になって話すそうです。その中で、「なぜ学ぶのか」という問いを立てた結果、スイッチが入る子が続出し、今まででは考えられなかったような難関大学に合格する子が増加しているとか。
https://www.projectdesign.jp/201601/ningen/002667.php
日本の公教育では「自分で考える」ことを強調しないので、あまり哲学は登場しませんが、フランスでは幼稚園で哲学の授業もやっているそうです。
http://www.phantom-film.jp/library/site/tetsugaku-movie/