Aki-souji

 

 

 

 

 

 

 

 

秋のそうじは幸い曇り空

伸びた蔓の除去

紫陽花の剪定

植木の剪定

溝の清掃

本堂廊下の拭き掃除

隅々までキレイになりました。

 

長い緊急事態宣言下

世間話もままならず、

解散の後も

皆さんしばらくおしゃべりされていました。

 

 

 

 

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おんなじ いのち

NPO法人抱樸のスローガンは「おんなじ いのち」
https://note.com/npohouboku/n/n1dc4886ac084

 

ホームレスの実情について、私にはこの本から学びました。

⚫︎14歳でおっちゃんと出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた働く意味

⚫︎釜ヶ崎合唱団<労働者たちが波乱の人生を語った>https://www.amazon.co.jp/dp/4833905523/ref=cm_sw_r_cp_api_glt_i_YJV3AGEGR5FRBGS8ABJK

 

世の中には頑張りたくても頑張れない人がいる。

「安心して失敗できる社会」を 

サトヤマモエ

大竹には平地がほとんど無く、

度重なる埋め立てを経て現在の形に。

 

というわけで近くにサトヤマがあり、コロナ禍も手伝ってすっかりその魅力にはまっています。

サトヤマ①防鹿には和紙の里があり、コウゾの畑があります。

サトヤマ②松が原には田んぼや畑、昔ながらの暮らしがあります。

 

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国民的熱狂を作ってはいけない

2月15日は涅槃会でした
お釈迦様の生涯を通してのこされたメッセージは「修行によって苦しみを取り除く」ことでした。

先日亡くなられた半藤一利さん。その著書「昭和史」のまとめとして

「国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない。ひと言で言えば時の勢いに駆り立てられてはいけないということです。」

と結んでおられます。

 

昭和は平成に比べ、度重なる戦争・高度経済成長、生活の変容、技術の発達などたしかに熱狂の時代だったかもしれません。どんなときも心の安定を保つことを力説しておられます。

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仏教は三学「戒・定・慧」といわれます。
戒・・・きまり(殺さない・盗まない他)
定・・・精神統一
慧・・・智慧

きまりを守る生活が精神統一を生み出し、心が安定した精神統一の状態から、智慧が得られる。

三つは互いに支え合っていて、ひとつ欠けると総崩れとなります。

しかし、
毎日の食事では、あらゆる命をいただいていますが普段はそれを忘れています。

ものは「盗まない」にしても時はついつい無駄に過ごしてしまいがち。これは自分の時間だけでなく他人の時間も無駄にし、盗むことにつながります。

戒定慧は叶わず、忙しい日常は些細なことに振り回され、心の安定も何処へやら。そんな私達を落ちつかせよう助けようと阿弥陀さまがその力を込めてくださったのがお念仏。

 

お念仏を伝えて下さったお釈迦様を思い、たくさんのお念仏をおとなえしました。

 

その身ならばぜひとも

めぐみの雨
換気、検温、消毒等コロナ対策をして御忌(ぎょき)法要を修めました。

新年初めの法要ということもあり、例年は懺悔紙に悔い改めたいことを書き、お焚き上げ。
ですが今年は中止し、皆様の身体健全、心の安寧を祈念しお札を渡し解散となりました。

法然上人からの「自身安穏」というメッセージには、「なにより念仏を中心にすえた生活をしなさい。」とあります。

ひとりで--ー誰かと一緒に

とどまって---歩きながら

在家でーーー出家して

自立して---助けられて

念仏をとなえることができる環境を整え、妻子や財産も妨げになるようであればもつべきではないとまで。

そして

欲望に惑わされなんども同じ過ちを繰り返す身でさえ大事にするのだから念仏をとなえるその身ならばぜひとも大事にしてほしいと伝えています。

コロナ禍は心にも体にも様々な制約があり、そのストレスや不安から、他人に辛くあたったり、自分を責めてしまったり。

阿弥陀仏は大慈悲。念仏申す人のあらゆる過ちやグチをすべて聴き入れ、受け入れて大事に見守る。念仏の生活とはこの大きな安心の中で生きること。

その身

 

 

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オンラインでの法要参加

今回「オンラインでの法要は可能ですか」とお問い合わせをいただきました。無事終えることが出来ました。ご親族の工夫とご尽力もあり、またこちらもその気持ちが有り難く、心のこもった法要が出来ました。

新型コロナウィルスの影響で今後葬儀、法事などを行う際、移動が叶わない、集まるための条件が確保出来ない等様々な状況が考えられます。出来る限り対応していきますのでご心配な事・ご要望などあればご遠慮なくお申し出いただきたいと思います。 IMG_1597

安寧を

412 11時より花まつりでした。

新型コロナウイルスの感染拡大は続いており、広島県も週末に行動自粛要請がありました。参詣はお断りしており、中止も検討しましたが世話人と住職にて勤行のみ行いました。

新型コロナにより亡くなられた方々の御供養と疫病退散終息、全世界の安寧を皆で祈りました。

 

自分の意見が変わることを楽しむ

哲学カフェ終わりました。

今回は本堂で開催したのですが、始める前に参加者の数人が、仏様の前では「言いたいこと、恥ずかしいことが言えない」「遠慮してしまう」と言っておられました。

始める前に

自由に自分の考えを言ってもいい場所。

発言者の言うことを聞く。わからなければ積極的に質問を

否定する・同意できない場合は優しく言葉を選んで。

偉い人の言葉や定義などを持ち込まずに自分で考えて発言する(なぜそう思ったかを説明することが出来ないから)

合意・結論を導き出す場ではない

●自分の意見が変わることを楽しむ

などを説明します。自由な発言を妨げないよう様々な配慮がなされています。

仏教には戒律や六波羅蜜など、ものの善悪がはっきり示されています。そのひとつひとつは実際どうなのか?なぜお酒を飲んではいけないのか、施しはなぜいいのか。そこら辺りも自灯明よろしく、皆さんと自分の言葉で語り会えたらと思っています。ちなみに広島哲学カフェの次回テーマは「信頼出来る人ってどんな人?」です。こっちの方が面白そう^ ^

いろんな説明があると思いますが以下は広島哲学カフェの定義です。

*哲学カフェって?*――普段から気になっていた問いを、はじめて会った人同士で、自分たちの考えだけで話し合ってみませんか? 難しい知識や哲学に詳しい必要はありません。一つの答えを出したり、合意形成を目指したりするのではなく、対話を楽しむこと、多様な意見を楽しむこと、自分の考えが変わったり深まったりすることを楽しむことが目的です。哲学カフェは、1992年にフランス・パリのカフェで偶然生まれ、その後世界中に広がっていった営みです。

この場では、異なる考えや反対意見、「わからない」と言うことや疑問を呈することを大歓迎とします。「誰が言ったか」という肩書ありきの会議でもなく、相手を論破するディベートでもなく、空気を読む会話でもない。哲学カフェは、ゆっくりとひとつの「問い」について考えることを楽しむ、沈黙の時間も楽しむ、そんな場を目指しています。

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自由に自分でものを考え、語れる場が学校・会社だけでなく、老後まで無い可能性があるという説があります。

今回ナビゲートしていただいた広島哲学カフェ主催の草間さんも自由に語れることをとても重視されています。

以下は大変お世話になった未来の住職塾の塾長松本紹圭氏のコメントです。

梶谷真司氏(東京大学大学院総合文化研究科教授)の『考えるとはどういうことか0歳から100歳までの哲学入門(幻冬舎新書)』が人気。

https://amzn.to/2VAxzJHでは

いわゆる「不良」の巣窟のような高校で、哲学カフェをやったところ、他の授業では遊んでばかりで見向きもしなかった生徒たちが、真剣に「愛とは何か」「正義とは何か」といった問いを巡って車座になって話すそうです。その中で、「なぜ学ぶのか」という問いを立てた結果、スイッチが入る子が続出し、今まででは考えられなかったような難関大学に合格する子が増加しているとか。

https://www.projectdesign.jp/201601/ningen/002667.php

日本の公教育では「自分で考える」ことを強調しないので、あまり哲学は登場しませんが、フランスでは幼稚園で哲学の授業もやっているそうです。

http://www.phantom-film.jp/library/site/tetsugaku-movie/